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studio PINE SQUARE

studio PINE SQUARE

グループ6と“走る広告塔”(1970-1981)

 企業買収に端を発するフォード対フェラーリの6年にもおよぶ激闘の影で、密やかに牙を研いでいたポルシェがいよいよル・マン24時間レースの表舞台に躍り出ます。
 しかし年々モンスター化していくマシンに、もはや大資本のワークスでなければ優勝は叶わないからとエントラントの減少を危惧した国際自動車連盟(FIA)やフランス西部自動車クラブ(ACO)は、レギュレーションを変更して出場車を3リッタースポーツプロトタイプカーに限定してポルシェやフェラーリを締め出す大鉈を振るいます。
 これが功を奏して1970年代前半はマトラ・シムカやガルフ・ミラージュ、リジェといった決して大きくないメーカーが覇を競いますが、後半は3リッタースポーツプロトタイプカー(実際は2.1リッターエンジンにターボ係数1.4を掛けて3リッター)を完成させたポルシェのトップコンテンダーになっていきます。
 また70年代から、F1グランプリにおけるゴールドリーフ・ロータス~マシン全体を企業広告で覆う~というコペルニクス的転回がサルテ・サーキットにも波及して、それまでのおよそ単色のナショナルカラーに塗られたボディに控えめな自動車関連の広告というリバリーから、タバコや化粧品アパレルといった自動車業界とは縁のない企業の広告を全身にまとったカラフルなマシンがサーキットを埋めることになります。

1970年


ヴィジョン1/43 ポルシェ 917K
#23 ハンス・ヘルマン / リチャード・アトウッド
走破距離:4607.81km
平均時速:191.99km/h

1971年


ヴィジョン1/43 ポルシェ 917K
#22 ヘルムート・マルコ / ジィズ・ヴァン・レネップ
走破距離:5335.31km
平均時速:222.30km/h
スポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ(酒造会社)

1972年


スパーク1/43 マトラ・シムカ MS670
#15 アンリ・ペスカローロ / グラハム・ヒル
走破距離:4391.34km
平均時速:195.47km/h

1973年


ミニチャンプス1/43 マトラ・シムカ MS670B
#11 アンリ・ペスカローロ / ジェラール・ラルース
走破距離:4853.95km
平均時速:202.25km/h

1974年


スパーク1/43 マトラ・シムカ MS670C
#7 アンリ・ペスカローロ / ジェラール・ラルース
走破距離:4606.57km
平均時速:191.94km/h
スポンサー:ジタン(タバコ)

1975年


スパーク1/43 ガルフ・ミラージュ GR8 コスワース
#11 ジャッキー・イクス / デレック・ベル
走破距離:4594.58km
平均時速:191.48km/h
スポンサー:ガルフ石油

1976年


スパーク1/43 ポルシェ 936
#20 ジャッキー・イクス / ジィズ・ヴァン・レネップ
走破距離:4769.92km
平均時速:198.75km/h
スポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ

1977年


スパーク1/43 ポルシェ 936/77
#4 ハーレイ・ヘイウッド / ユルゲン・バルト / ジャッキー・イクス
走破距離:4671.63km
平均時速:194.65km/h
スポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ

1978年

スパーク1/43 ルノー・アルピーヌ A442B
#2 ディディエ・ピローニ / ジャン=ピエール・ジョッソー
走破距離:5044.53km
平均時速:210.19km/h

1979年


スパーク1/43 ポルシェ 935K3
#41 クラウス・ルトヴィク / ビル・ウィッテントン / ドン・ウィッテントン
走破距離:4173.93km
平均時速:173.91km/h
スポンサー:ヌメロ・リザーブ(雑誌)、フィリップ・サルベ(時計メーカー)

1980年


スパーク1/43 ロンドー M379B コスワース
#16 ジャン・ロンドー / ジャン=ピエール・ジョッソー
走破距離:4608.02km
平均時速:192.00km/h
スポンサー:ル・ポワン(雑誌)、ファコム(工具)


1981年


スパーク1/43 ポルシェ 936/81
#11 ジャッキー・イクス / デレック・ベル
走破距離:4825.35km
平均時速:201.06km/h
スポンサー:ジュール(クリスチャン・ディオールの香水)



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